octahedron

LemとSKKとCommon Lispでたたかうプログラマのブログ

悲しみの記

今回はとっても愚痴記事です。読まないことをお勧めします。

ぼくがやりたいことはいくつかあって(一般にはたくさんと呼ばれるらしい)、それを実現するために動きたいと常日頃考えている。先日はやりたいことのひとつである「リアルタイム操作可能なシンセサイザープログラム」のミニマムかつ最初の成果物であるKoto https://github.com/t-sin/koto とかリリースした。

この先にあるのはRez InfiniteやDEPTHといった音楽ゲームの音楽演奏部分の基礎理解と私的モジュール化だ。

やりたいことの他にはグラフィクスプログラミングやプレイヤーの体験を設計するという意味でのゲーム実装、プログラミング言語処理系への理解の強化などある(よく誤解されるが「言語処理系」といったとき「形式言語を処理するシステム」の意味で用いているので注意)。もともとチューリングマシンかっけーからプログラミングに入ってきたので、低レイヤーとても興味があるのだ。

ところで、人生の最も多くの時間を割かざるを得ない活動がある。労働である。ヒトの仕事を機械が完全に奪ってくれていない現在において、日銭あるいは趣味のための資金を捻出するのに労働は欠かせない。

しかし労働は大抵の部分において苦である。

電車通勤を強いられたりオフィス移転により通勤距離の変更(遠くなったり乗り換えめんどくさくなったりするかもしれない)。私的にやりたいことが山ほどある人間にとっては1日8時間以上を当然の顔して掠め取られるだけでも大打撃だ。内容だって苦しみが多く、まずもってやりたいこと・伸ばしたいことと業務が一致することは多くない。会社の方針、理解されない提案、理解しがたい提案、開発陣と経営陣の連携のなさ、マイナー言語好きのつらみ、孤独感。要するに虚無である。

では環境を変え、なんならやりたいことに近い分野の仕事を探せばよいのでは。と転職活動もやってみた。

しかし、事業内容に興味を持てないのである。世の中を技術で変えることは大事かもしれないが、ぼくにとっての気持ちよさはかけらもない。ぼくにとっての気持ちよさとは、やりたいことを要約して、気持ち良いものをつくれることにあるからだ。そして、そのような仕事がないか探してみた。応募もしてみた(たしかにゲーム系請負の小さな会社だった)。しかし、ぼくにフィットする会社がみつからないのである。あるいは待遇がとても悪く、ビビったりした。こちらがまだ勉強不足である面は看過しがたい。しかし労働に身を縛られているため勉強にさける時間は全く多くはない。詰んでいる。

また、やりたいことに重なるようなことがネットで世の中で既にやられていくのを見た時の無力感といったらないのだ。

やりたいことがたくさんある故、ふとこのように自問することがある。 「このままではなにもわからない人間でただ終わるのではないか」

ぼくはそのように終わるのは嫌だが、何かを成し遂げられるという希望が定期的に潰えては怯えている。

ぼくは、どうなってしまうんだ?